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まず、黙とう

まず、黙とう。

 
本日、機会があって、在米サンフランシスコ領事館の某領事とお会いする機会がありました。 そこで、「戦後渡米した、原爆の後遺症で苦しむ人たちが、多数アメリカにおられる、ということと、いまだに核を軍事利用しようとする事の脅威」について少し、お話させてもらいました。

わたしは軍国主義者ではありませんが、かといって、平和主義者でもありません。 よく、両者は善悪の両極を表しているかのように語られますが、わたしはそうは思いません。 戦いの中に平和があり、また、平和の中に戦いがある。 結局、人間という進化途上の生物は、どこまで行っても、理性だけでは制御することの出来ない本能という部分に翻弄されることが多々あります。 平和といわれる日本は、いまでは、進路出世競争の果てに自殺・殺人があり、子殺し、親殺し、貧富(勝ち組・負け組)の争い、詐欺、横領、汚職、八百長の国、ジャパン。。。 毎年数万人が自殺や殺人事故によって命を失う日本を、アメリカから見ながら、こう思います。。。 まったく、どこが「平和の国」なんだか(笑

誰かが幸せになるということは誰かが不幸せになるということは自明の理であって、それは昨今の株ブームしかり、労働裁量制しかり、派遣労働しかり・・・その当事者においては、身にしみて感じておられることだろうと思う。 そもそもこの世はすべて生存競争という戦いのリングの中で、みんな押し合いへし合いしながら生きているわけで、リングで揉みくちゃにされながらも残るものもいるし、周りにボディーガードを並べてヌクヌクとしているものもいるし、リングから押し出されて消えていくものもいる。 富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる状況にある。

この生存競争という変えることの出来ない事実・真実を現前としながら、いくら民主主義自由経済だ、社会主義平等経済だとわめいた所で何の根本解決にもならず、ただ目先の数十年を乗り切るだけの力しか持たない。 先日、サブプライム債権には手を出さないと書いたが、みなさんはどれだけその内情を知っているだろうか? サブプライムローンとは、低所得者に返済見込みのない額、利子のお金を、さも返せるような話をして、借りさせ、その金で家を購入させ、支払いが不可能になれば直ちに立ち退きをさせ、家を債権担保として取り上げるというからくりになっている。 (ある町では、一日に50軒の家族が立ち退きを迫られ、ホームレスとなっている。 この先数年で数千人が路頭に迷うホームレスになる可能性が指摘されている。) つまり、低所得者の、それでなくても少ない資産を、甘言によってすべて毟り取ろうとするローン、それがサブプライムローンの実態である。 そんな非人道的な行為をおこなうファンドに、日本の最大手の証券会社や、世界の知の集積といわれるハーバード大学といった由緒正しい企業・大学が荷担していたということに、驚くどころか、呆れてしまった。 これも、知性・理性より、「儲けたい・他人を苦しめてでも富を独占したい」という本能が本性をあらわした出来事だといえよう。 一般投資家なら言い訳も許されるかもしれないが、彼らの行為は、「知らなかった」では済まされないだろう。

「歴史は繰り返す」と、歴史家ヘロドトスは語る。

直接的な争いによって富を奪い合うこと(戦争)に疲弊すると、他人と同じくらいの富でいいからと、理性的な解決(平和)を求める。 しかし、また、時がたつと、人は、その本能ゆえ、他人より、富を多く持ちたいと願い、また富を直接的に奪い合うことをはじめる。 この繰り返しは、未来永劫なくなることはないだろうと、確信する。 なぜなら、人間がどれだけ賢くなり、理性的になるとしても、人間は本質的に、本能的な動物であるからである。

ふたたび、黙とう。

生存競争の中で残るものがいて、消えるものもいる。 それは仕方のないことだ。 わたしもやがて、その生存競争のリングから押し出され、消えていくだろう。 それを寿命とか天命といったりするのかもしれない。 しかし、生存競争とは関係のない理由、または理由なき理由によって命が奪われるということは、決してあってはならない。 もしそういうことがまかり通るなら、人間存在の意義自体を問われることになるだろう。

わたしにとって、争いも平和も、同時に、渾然として、わたしの日々の生活の中にある。 戦争だ、いや平和だ、と、それをネタに誰かを煽ったり、誰かに煽られるようなことはしたくない。 戦争、平和、そのどちらかに固執することすら、悲劇を生む契機となる。 わたしはどちらにも荷担する気はない。 わたしは、ただ、わたしと、わたしの家族に降りかかってくる火の粉は振り落とす、ただ、それだけのこと。

ちょうど62年前の今日、防ぎきれないほどの火の粉を頭の上に落とされ、何が起こったか判断する時間すら与えられることなく、うばわれた数限りない命。 そのなかには、生存競争のリングにすら上がれず、母の胎内で息絶えた命も、無数にあったことだろう。 その母と子の無念さに、だれが応えてあげることが出来るだろうか。。。 どうすれば、かれらに報いることが出来るだろうか。。。

わたしでできるのは、 ただ・・・ 頭を下げ、黙祷すること・・・

「一部、かずの個人著作より転載」

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